JH1LPZ 久保田直己 無線歴紹介

いつの間にか、再開局からも早くも30年が経過してしまった。ほとんどDXばっかりやってました。

 

 

  • 1973年 電話級アマチュア無線技士 取得

JG1コールで開局。当時まだ家電メーカーまで無線機を製造販売していた時代に、NECのCQP-6300と3m高のGPで50MHzのAMとFMのみ運用。夏場のEスポで遠方と更新できるスリリングさに嵌るが、HLと繋がった時にはまったく英語が話せずビビりまくる。その後一度局免を更新するもいつの間にかフェードアウト。

 

  • 1987年 再開局

一度失効させてしまったコールサインが復活できる制度ができたと聞き、慌てて再開局の申請をするが、既に遅く、以前のコールは他の人に割り当てられた後であった。しかしJH1のコールをもらうことができ、これは悪くないと考え、初めてHFで開局。ちょうど太陽の活動のピークに当たり、ハイバンドのコンディションが良いこともあって、10WとGPでもOK(当時のチェコスロバキア)やLZ(ブルガリア)などと交信ができ、一気にDXにのめりこむ。

 

  • 1988年 電信級アマチュア無線技士、第二級アマチュア無線技士取得

DXを始めてみたものの、さすがに10Wのフォーンではまったく歯が立たず、小電力でもなんとかなるCWを運用するために電信級(当時)を取得。しかし10Wでは国内の局にすらピックアップしてもらえず、ストレスが溜まるばかりだったので、一念発起して2アマを取得。当時の2アマの試験は筆記だったので、電波法の暗記がとにかく大変だった。

 

  • 1990年 DXCC 達成

100カントリー(当時)と交信し、DXCCを取得。念願のエレベータ付きタワーも設置。しかし10年に一度のチャンスがあるかどうかという3Y(ブーベ島)やVP8(南サンドウィッチ島)などには相変わらず呼べど叫べど歯が立たず、100Wの限界を思い知る。

 

  • 1995年 第一級アマチュア無線技士 取得

さらに一念発起して1アマを取得。既にアマチュア無線の試験から記述式は消え、全て択一式だったので、電波法と工学は正直言って過去の2アマより楽だった。それよりも和文の電信に難儀。現在は和文も無くなったので、だいぶ楽になったのではないだろうか。  
この頃から2年間ほど、DX専門誌「59」の14MHzのコーナーのエディターを担当させていただくことになった。

 

  • 2002年 DXCC Honor Roll 達成

15年かけて全エンティティのうち残すところ10までたどり着き、Honor Roll達成。しかしこの残り10エンティティに10年以上の年月を要するはめになる。

 

 

  • 2005年 5B DXCC 達成

14〜28MHzはそれぞれ300エンティティを超えていたものの、7MHzはロータリーダイポール、さらに3.5MHzはワイヤーなので、単独バンドのDXCCでも一苦労だった。

 

 

   

 

  • 2015年 DXCC No.1 Honor Roll 達成

2015年2月、最後まで残っていたカリブ海の米領KP1(ナヴァッサ島)のK1Nと交信でき、足掛け28年で全エンティティ完了、DXCC No.1 Honor Roll達成。

 

 

 

これから適当に時間を見つけて、全エンティティについて、ひとつづつ書いていこうと思います。

 

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